基本的に祭りが好きだ。
といってもお神輿担いでワッショイではなく(それも嫌いではないが)、テキヤの屋台がズラリと並ぶ類を指す。
中島みゆきに「まつりばやし」という歌があるが、祭りの輪に入れず(というか意図して入らず)傍観者として愉しんでいるポジションがよく描写されていると思う。
さながら、“運動は苦手でもっぱら見学だが、同級生とやんやするのが嫌いじゃないので、校庭の隅での体育座りをして眺めている”的スタンスとでも言おうか。初めて聴いた時「オマエはオレか!?」と思ったものだ。
曲の舞台は恐らく夏祭りで、テキヤの並ぶ光景は花火大会や盆踊り、七夕祭りを想像されやすいと思うが、自分にとって最も愛すべきテキヤ祭りは年末の酉の市の類なのだ。
吉原の鷲神社や新宿の花園神社で行われる11月の酉の日のものが有名だが、そうした酉の市以外にも多く熊手が売られる市がアチコチに立っている。自営をしている都合上、店に熊手を祀る目的もあるのだが、
【結構人ミルクホール:熊手、昨年もお世話になりました】
折角なら色んな場所の酉の市を見てみたいと、可能な範囲でアチコチに出向いている。
このブログでも過去、毎年12/15に催される川口のおかめ市について少し触れたが、
●川口のおかめ市ついでに 2010年12月25日
手前のB級グルメブログでも何度か紹介させてもらった。

吉原の鷲神社酉の市横浜橋の大鷲神社酉の市
浦和の十二日まち大宮の十日市(とおかまち)蕨の和楽備神社酉の市
川口のおかめ市:04年06年10年

以上はここ10年くらいに赴いた代表的なもので、これ以外にもいくつか足を運んでいるが、昨年12年末は初めて、立食いそば屋に立ち寄ったついでに、
【デウスエクスマキな食卓:牧丘@西台】
板橋区西台の熊手市に詣でてみた。

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都営三田線の西台駅から南へ徒歩5分チョット、首都高と交錯する歩道橋の裏手に善長寺がある。
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この境内と南側を東西に伸びる細い路地200m程の区間に凡そ百軒の屋台が並ぶ。
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ここは武蔵野台地の崖線に沿うような線形を辿る道。崖に沿って削った様な線形なので、ただでさえ道幅が狭い所の山側に屋台が並ぶものだから更に道幅が狭まる。そこにきて若干道がウネっているからさぁ大変。夕方ともなると浮き足立った学生やらで寿司詰め状態となる。
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年末の冷たい空気の中、身体を縮こませ、ジャンパーのナイロンとナイロンが擦れる音の中、白い息を吐きながら人並みに身を任せてこその祭り。なんともトリップ感のようなものを覚えてならない。

屋台が並ぶ道から善長寺に入ると参道に人の列ができている。
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善長寺の参拝客かと思い、脇から善長寺を眺めると、列は更に奥に伸びている。どうやら熊手市の参拝は境内の端にある神社で行うようだ。
ならばと自分も列に加わる。
列が進むと両サイドに熊手が売られている光景が目に飛び込んでくる。
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見慣れた屋号も目にするが、初めて見る屋号も多い。この地区の熊手市は初めてだが、エリアによって縄張りがあるのだろうか。
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遅々としつつも進みながら熊手を眺めつつ思ったのだが、こんな町の外れの小さな規模の市に溢れんばかりの人がどうして詰めかけるのだろうか。都心の酉の市でも、巣鴨や西新井の納めの大師などは寂しくなるほどの人手だ。しかもこの熊手市は酉の市公式サイトのリンク【東京都内の酉の市】にも掲載されていないにも関わらず、だ。
地形的に少々アクセスが悪いから、逆に地域信仰が根強く残っているのかもしれない(ちなみに近くを通る環状八号線が武蔵野台地を貫いて全線開通に至ったのが2006年とつい最近のこと)。周囲には大きな神社(天祖神社・北野神社など)も多く、初詣に赴いてみたが、その賑わいと立派さに驚かされた。
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列はさらに進み、いよいよ神社に近づいたが、本当に小さな祠というくらいのもので、またも驚かされた。
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内部は写真に収めなかったが、近所に畑も多いこともあってか、採れた野菜が奉納されている様がなんとも微笑ましかった。

更に増える学生の波に飲まれつつも、時間をかけて喧騒を脱し、家路につくのだった。
屋台としては定番のものばかりでコレという特筆すべきものはなかったが、地元に根付いた本当の意味での祭り・信仰の、下駄履きというべき等身大のあるべき姿に触れられて、なんだか嬉しくなってしまった。
大きな酉の市もいいものだが、小さくても活気に溢れるものも一興であると気付かされた。まだまだ酉の市リンクに載っていない小さな市がアチコチにあるのだろう。これからも巡って行きたい。
【了】