前回告知させていただいた、拙ミニコミ同人誌の新刊限定セット、お陰様で通販分も沢山ご注文頂き、無事受付終了となりました。
限定本の一つ、川越~大宮間を戦前に走っていた西武大宮線の廃線跡巡りは、『これぞ川越』というタイトルで再編集し、タコシェと模索舎のみに置かせてもらっていますので、宜しければそれらも是非どうぞ。
というわけで、西武大宮線探索の際に川越の遊廓跡も覗いてきたので、そのレポートをやってみようかと。
埼玉県は公娼制度を認めていない、いわば廃娼県とされているが、建前は旅館や料理屋として営業するお決まりのパターンで熊谷や大宮などに遊廓は存在していた。乙種飲食店(達磨屋)という名で川越にも、日本三大東照宮の一つである仙波東照宮を有する名刹、喜多院の西側に赤線が存在した。
赤線跡としては余り知名度がないように思われたので、往時の建物は少ないか、規模が小さいのを想定して、見逃さないよう慎重に、喜多院北側の県道を歩く。
この表通り沿いの商店も看板建築が多く現存し、その繊細かつ堂々とした佇まいに圧倒される。
側面から見るとトタン張りの木造家屋な丸見えなザ看板建築というべき佇まい。しかも隣の家の名残がハッキリと残る原爆タイプのトマソン(みちくさ学会参照)。
またコチラもトタンの青が眩しいが、躯体が教会のような洋風の三角屋根に鳴っているのも珍しい。
そんな家々の間、事前に調べた情報を頼りに路地に入るが、そこには想像を遥かに超えた空間が待ち構えていた。
現れた民家からして、入口辺りの感じがまずもって雰囲気を醸し出している。
とその向かいに不自然な空き地があった。空き地の奥にはトタン張りのベランダが印象的な下見板張りが歳月を物語る木造家屋。
これは・・・とピンと来るものがあり家の裏路地に入ると、黒板塀の人一人通るのがやっとな狭小通路が。
これはビンゴか!?と思い、異様な静寂に包まれる路地を慎重に歩を進める。
すると唐圓(圓唐?)と書かれた看板。
さらにその奥には、今回探し求めていた旅館市むらのウラ入口が。
なにやら只ならぬ空気が一帯に漂っていて、気軽に家を拝見している場合じゃなく思えてくる。
静かに、そして足早に路地を抜け、旅館の表に廻る。
住宅街にポツンと佇む転業旅館。
表からでも独特の気を読み取ることが出来る。
この先、天ぷら屋や食事処として営業する物件もあり、これは改めて食事をいただきつつ内部も鑑賞するとしよう。
(天ぷら屋の正面)
(食事処の2F部分)
こうして遊郭跡エリアを一回りしてみたが、90年代に多くは取り壊されたという割になかなかの現存率と、どれも堂々とした佇まいでとにかく素晴しいかった。さらには、その建物の間の路地空間が往時を思わせる、まさしく露地といった湿っぽさを残しており、小江戸の観光地としての顔以外に、やはり歴史的位相という町としての奥行きを感じずに入られないのだった。
遊郭跡以外にも、菓子屋横丁の程近くの町裏にも重厚な建造物が数々残っていたので、こちらもいずれ取り上げたいと思う。
【了】
限定本の一つ、川越~大宮間を戦前に走っていた西武大宮線の廃線跡巡りは、『これぞ川越』というタイトルで再編集し、タコシェと模索舎のみに置かせてもらっていますので、宜しければそれらも是非どうぞ。
というわけで、西武大宮線探索の際に川越の遊廓跡も覗いてきたので、そのレポートをやってみようかと。
埼玉県は公娼制度を認めていない、いわば廃娼県とされているが、建前は旅館や料理屋として営業するお決まりのパターンで熊谷や大宮などに遊廓は存在していた。乙種飲食店(達磨屋)という名で川越にも、日本三大東照宮の一つである仙波東照宮を有する名刹、喜多院の西側に赤線が存在した。
赤線跡としては余り知名度がないように思われたので、往時の建物は少ないか、規模が小さいのを想定して、見逃さないよう慎重に、喜多院北側の県道を歩く。
この表通り沿いの商店も看板建築が多く現存し、その繊細かつ堂々とした佇まいに圧倒される。
側面から見るとトタン張りの木造家屋な丸見えなザ看板建築というべき佇まい。しかも隣の家の名残がハッキリと残る原爆タイプのトマソン(みちくさ学会参照)。
またコチラもトタンの青が眩しいが、躯体が教会のような洋風の三角屋根に鳴っているのも珍しい。
そんな家々の間、事前に調べた情報を頼りに路地に入るが、そこには想像を遥かに超えた空間が待ち構えていた。
現れた民家からして、入口辺りの感じがまずもって雰囲気を醸し出している。
とその向かいに不自然な空き地があった。空き地の奥にはトタン張りのベランダが印象的な下見板張りが歳月を物語る木造家屋。
これは・・・とピンと来るものがあり家の裏路地に入ると、黒板塀の人一人通るのがやっとな狭小通路が。
これはビンゴか!?と思い、異様な静寂に包まれる路地を慎重に歩を進める。
すると唐圓(圓唐?)と書かれた看板。
さらにその奥には、今回探し求めていた旅館市むらのウラ入口が。
なにやら只ならぬ空気が一帯に漂っていて、気軽に家を拝見している場合じゃなく思えてくる。
静かに、そして足早に路地を抜け、旅館の表に廻る。
住宅街にポツンと佇む転業旅館。
表からでも独特の気を読み取ることが出来る。
この先、天ぷら屋や食事処として営業する物件もあり、これは改めて食事をいただきつつ内部も鑑賞するとしよう。
(天ぷら屋の正面)
(食事処の2F部分)
こうして遊郭跡エリアを一回りしてみたが、90年代に多くは取り壊されたという割になかなかの現存率と、どれも堂々とした佇まいでとにかく素晴しいかった。さらには、その建物の間の路地空間が往時を思わせる、まさしく露地といった湿っぽさを残しており、小江戸の観光地としての顔以外に、やはり歴史的位相という町としての奥行きを感じずに入られないのだった。
遊郭跡以外にも、菓子屋横丁の程近くの町裏にも重厚な建造物が数々残っていたので、こちらもいずれ取り上げたいと思う。
【了】