私の生まれ育った川口市のほぼ中心には広大な空き地があった。
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厳密に言えば今でもあるし、上の写真は現在の写真なのだが、この風景に至るまでの昔語りを少々させていただこう。

JRの路線は市の西と北に寄り、中心部から東側はぽっかりと陸の孤島と化していた。今でこそ埼玉高速鉄道という、どこが高速なのか、運賃が高額で寧ろ拘束されている様な人寂しい路線だが、足立区や戸田といった郊外の倉庫・工場地帯に挟まれて、幹線道路はやたら賑わっていた。
それも今は昔で、街道沿いの飲食店も寂しい風景ばかりが目立つのだが、幼い頃より、そんな道路沿いの風景に謎の物体を発見しては、アレはなんだ!?と心踊らせていた。

一先ずその“ブツ”をご覧いただこう。
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一瞬石かというか思うが、よく見るとコンクリートの塊で、4m×8mくらいだろうか、上部にはフックのようなものが固定されている。
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ただそこにあるだけで、飾り気もない、だけど謎めいた圧倒的な存在感を誇るそれは、映画『2001年宇宙の旅』のモノリスや、ビデオゲーム『ゼビウス』の地上物を彷彿とさせる。
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現在NHKアーカイブスのビルが建つ土地のすぐ隣り、一部は市のレクリエーション施設になっているが、それ以外の大部分は全くの空き地になっている(冒頭の写真)。その空き地の敷地内とその周辺に、こうしたコンクリの塊が、自分が確認できた範囲では4基存在している。
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それぞれ微妙に形状や大きさが異なるのだが、自分が子供時分に自家用車の車窓から見た記憶のあるものとは、形も場所も少しズレている気がするのだ。
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その原因はスグに判明するのだが、そもそもこの場所はなんだったのか。

隣接する場所に岡崎病院という我が家のかかりつけ医があった(現在はデイケアセンターとなっている)。その裏手に廃墟のようなグレーに煤けた学校や病院にみえる建物があり、幼心に興味はあったが怖くて近づけなかった。
現在川口衛星管制センターとなっている場所、父からはNHKのラジオ局があったと聞かされていたが、実際はこの広大な土地にはNHKラジオの送信用鉄塔が2つも建ち、そのNHK川口放送所の施設だったと推測される。

コンクリの塊は鉄塔を支える鉄塔基部と、
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ワイヤーを固定する支線基礎のようで、
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2塔あった内の北塔の基礎だけがこうして現存している。

鉄塔は1937(昭和12)年と戦前に立てられ、45年間、関東一円にNHKラジオを送信していた。なんと東京タワーが出来るまでは日本一の高さを誇る鉄塔だったそうで、歴史や構造等、「魅惑のチリルーム」という素晴らしいサイトに詳しくまとめられているので参照されたいが【東京発展裏話#8 日本最高のタワーを支えた基礎構造物~NHK川口ラジオ放送鉄塔跡~】、そこに掲載されている図を見ると、自分が幼い頃に見たのは、撤去された南塔の基礎であったようだ。
こんな破壊するだけで大変でコストも割に合わなそうなものをよく撤去したものだと思う。最近でも近くの鋳物工場が閉鎖され住宅地として分譲されていたが、そうしたニーズがある以上、今ある空き地だって、NHKの所有地となっているが、どのように転用されるか知れない。

先に戦前に立てられたと記したが、終戦の年、15日に玉音放送を聞いた一部の陸軍軍人が終戦に反対し、徹底抗戦を主張せんがため8/24にこの川口放送所を占拠するという事件が起きている【Wikipedia】。NHKの放送をジャックし、国民に徹底抗戦を呼びかけようと試みたが、送電が止められ計画は失敗。しかし午前6時頃から約9時間に渡り関東地方一帯でラジオ放送が停波した。
その空気を吸っていたのは、この残る数基の基礎のみとなり、今ではその場所で放送衛星の制御を行うシステム(B-SAT)のパラボラが虚空を見つめていた。
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【了】